壬生寺

鑑真和上ゆかりの律宗・壬生寺は、西暦2年(992)年に創建された。本尊は重要文化財に指定されている延命地蔵菩薩をはじめとして、多数の地蔵菩薩を祀っている。
壬生寺は、古来よりの地蔵信仰と共に厄除・開運の寺としても知られ、2月の厄除け節分会は約900年もの歴史をもつ行事である。また、鎌倉時代に始まったという無言劇「壬生狂言」が今も毎年春、秋、そして節分の時に演じられている。

さらに新撰組の初期の屯所に近いことから、壬生寺の境内は新選組の大砲や剣術、馬術の訓練といった兵法訓練所に使用されていた場所として有名。そのため、「隊士が壬生狂言を見物していた」であったり、「のちの一番隊隊長沖田総司が近所に住む子供たちと境内で遊んでいた」、「新選組が相撲興行を企画し、寺の放生池の魚やすっぼんを採って料理し、力士に振る舞った」などの逸話が伝わっている。

壬生寺境内東方にある池の中の島は壬生塚と呼ばれ、幕末の新選組隊士の墓などがある。新選組の局長であった近藤勇の胸像と遺髪塔、また新選組屯所で暗殺された芹沢鴨と平山五郎の墓、他隊士7名の墓がある。その墓には池田屋騒動で亡くなった奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門らも葬られている。

壬生狂言について

壬生寺ではお寺としては珍しく、狂言が伝わっている。京都では疫病退散を願う祭事が数多く行われているが、仮面をつけての無言劇をしているのは壬生狂言だけである。
その成り立ちは1300年、正安2年にまで遡る。この頃京都では疫病が流行り、壬生寺の中興の祖ともいわれる円覚上人は疫病封じに鎮花(はなしずめ)の法会を開いた。つまり、桜の花が散るのを眺めて疫病退散を願ったのである。円覚上人は一人の唱名念仏が他の一切人の念仏になり、他の一切人の唱名念仏が一人の念仏になるという融通念仏を唱えていたが、これと鎮花法会がミックスされ、それをパフォーマンスとして見せたのが壬生狂言の始まりだとされている。
壬生狂言の舞台となる大念仏堂は2階建てであり、1階は演者の着付けの場所で、面の間には約200種もの狂言面が納められている。

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壬生寺 (mibudera.com)

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交通アクセス
最寄り駅
嵐電四条大宮駅・阪急大宮駅
最寄り停留所
市バス・京都バス壬生寺道

京都市バスでは、令和5年(2023年)2月2日(木)及び3日(金)の節分に伴い吉田神社と壬生寺間をつなぐ臨時バスを運行します。時刻表は以下のURLからご確認ください。
rint201.pdf (kyoto.lg.jp)
なお、令和5年(2023年)2月2日(木)及び3日(金)には京都駅~吉田神社方面への臨時バスも運行されます。その他、京都駅~清水寺・祇園・三条京阪を結ぶ楽洛東山ラインなどの臨時バスの時刻表は以下のリンクから確認できます(ページの底にあります)。
京都市バス時刻表:ハイパー市バスダイヤ【京都市交通局】 (kyoto.lg.jp)

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