“鳴滝”この地名は全国にも徳島県や島根県といったところに同名の地名がある。どういった意味なのだろうか…

「鳴滝」とは名の通り、水音高く鳴り響く滝の事を指す。同名の滝としては、徳島県美馬群貞光町の鳴滝や、島根県安来市、同県斐川町の鳴滝など、全国で10か所前後が知られている。これらの多くが水音の鳴り響く大きな滝だというが、中でもこの山城の鳴滝は古くから知られている滝の一つである。

現在では、京の町の鳴滝といえば、右京区鳴滝の地域名としての認識が一般的であり、由来となった滝そのものを知る人は少ない。その滝とは、高尾方面に源を発する御室川が平坦な野に至る手前、周山街道の福王子の北西で数段に渡って激しく落下する、規模の大きな滝である。現在は応年ほどの水量はないものの、鋭く削られた岩肌からは往時のありさまが十分に想像できる。

鳴滝についての古い記録としては、902年の『扶桑略記』に、祈雨のための五龍祭が「鳴滝北方の12月谷の口」で修せされたという記事がある。また他にも1011年の『御堂関白記』にはこの滝が七瀬祓(ななのせはらえ)の場の一つとされているといった記述があるなど、各種の宗教的な行事の場となった記録が散見する。この地が宗教的な場となったのは、都の乾の方向に位置するとともに、勢いよく落下する水の勢いに只ならぬエネルギーの発動を感じたからであろう。そこから鳴滝は、近年に至るまで、御室仁和寺系統の修業の場として受け継がれていた。

また、鳴滝は数々の歌に詠まれた歌枕の地であり、『蜻蛉日記』の「鳴滝籠」の舞台としても知られている。筆者である藤原道綱母は、夫の兼家の浮気に絶望し、尼になる決意で当時この地にあった般若寺に籠る。その間に彼女の身を案じる縁者から寄せられた手紙の中には、次のような一首が読まれている

 「世の中は思ひのほかになるたきの深き山路をたれ知らせけむ」

「世の中」には作者夫婦の間の意が掛けられ、「なるたき」には「思ひのほか(意外な仲)になる」と「鳴滝」の意が掛けられている。この一首から、当時のこの地が、都からはるかに隔絶された山深い地と受け止められていたことが想像される。

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