秀吉の京都大改造、京の町を守った御土居

千年の都、京都。その町の形成に大きな関わりがある人が複数名います。その内の1人が豊臣秀吉です。彼が残したものは今でも見ることができます。

それがこちら

御土居です。

天正14年、太政大臣に就任。聚楽第を造営し、武家屋敷を建設しました。19年に御土居を築造しました。御土居には外敵の襲来に備える防塁としての機能と川の氾濫から街を守る堤防としての機能があったとされています。北は上賀茂から鷹ヶ峯、南は東寺南端の九条通、西は紙屋川から東寺の西辺、東は鴨川の西側(今の河原町通)まで南北約8.5km、東西3.5km、総延長22.5kmに及びました。御土居は土塁と堀から構成され、土塁の高さは3m以上、堀の幅は20m前後、深さは20m以上あったようです。

上の写真は北区平野鳥居前町に残る御土居の一部。隣接する住宅の2階と同程度の高さがあり、その巨大さが分かると思います。

御土居により、御土居の内側の「洛中」と「洛外」の行き来は「京の七口」と言われる出入り口(鞍馬口、大原口、粟田口、伏見口、東寺口、丹波口、長坂口)に限定されていました。しかし、江戸時代には壊され始め、30箇所を超える切通しが設けられてしまいます(西側なんか丹波口(現在の梅小路京都西駅付近)から長坂口(現在のバス停 鷹峯上ノ町の少し北)まで出入り口無くて不便ですもんね)。明治以降は破壊が進行し、現在では北部や西部でその一部が残されています。

御土居に沿って京都を探索して、秀吉時代の京都を実感してみてはどうでしょうか?

交通アクセス
最寄り駅
嵐電北野白梅町駅
最寄り停留所
市バス衣笠校前又は市バス・JRバスわら天神前

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散策の際はコチラのマップも参考に
08御土居跡マップ (kyoto-arc.or.jp)
御土居を始め、旧石器時代から近世にかけての京都の歴史を学びたい方は京都市考古資料館がおススメ
京都市考古資料館 (kyoto-arc.or.jp)
↑市バス今出川大宮(201・203・59系統停車)下車すぐ

制作:2022年度制作班

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