本記事は都市伝説的なお話を扱います。
話半分、小説のような気持ちで読んでいただけると幸いです。
人類とは古来よりどういった訳か、未知のものや理解を超越するもの、喪失した空白の歴史といったものに、浪漫なり高い好奇心なりを覚えるようで、それらは所謂都市伝説だの陰謀論だのと云われて久しい。
そうした論は日常の現実的な議論から飛躍して、持て余した妄想力と敬愛すべき飽くなき探求心が合わさって抱擁をした結果の産物だといえ、堅実な理論と根拠を重視する科学界においても愛すべき阿呆だと認識されている。
今回の話も例外ではない。
【日猶同祖論】などという、摩訶不思議な、かつ珍妙な説が存在する。
普段から耳にしないし目にも入らない同単語であるが、その存在は人間社会の陰に潜む秘密結社よろしく思想警察をはじめとした、魑魅魍魎の跋扈する地下社会においては一般に広く知れ渡っているという。
軽率な気持ちで口にしてしまったものなら、何処からともなく黒服サングラスの屈強な男たちが駆けつけては手当たり次第に捕縛されてしまうという、なんとも恐ろしい噂であるからここでの詳細は控えるが、都市伝説初心者な読者諸君にために危険を顧みずかいつまんで話すと、なんと我らが日本人と、遠く欧州や中東に住まうユダヤ人とは祖先が同じである、更には日本人の祖先は“消えたイスラエル十部族”の末裔なのである、という壮大かつ荒唐無稽な思想のことである。
“消えたイスラエル十部族”について先に触れておこう。
遥か昔、ダビデ・ソロモン王の時代に栄華を極めた王国が南北に分裂し、その中のイスラエル十二部族のうち十部族が北にイスラエル王国を興した。しかし大層な髭を拵えた首長たちの努力虚しく、イスラエル王国は紀元前722年、かの有名なアッシリア帝国によって滅ぼされてしまい、その後この十部族は歴史の表舞台から姿を消した。
この史実によって、当時の人たちからは想像もつかないような未来人の多くがその謎にりつかれているのは、後世に語り継ぐ責務を全うしなかったアッシリア帝国の責任ではないのか。もしくは関連文書の喪失か。
そしてこの謎は千年の歴史を持つ古都・京都においても確かにその存在感を放ち、歴史的浪漫の解決にその身を捧げんと欲する一部の人たちは、楊貴妃に骨抜きにされた中国は唐の皇帝・玄宗、ならびにクレオパトラの美貌に魅了された古代ローマの独裁官カエサルのごとく、日猶同祖論の虜になっている。
そんな彼らが京都で見出した日猶同祖論の僅かな希望の光ともいえる論の証左が、渡来人の秦氏の本拠地であった太秦の地にあるという。その提唱者はネストリウス派キリスト教研究の世界的権威であり、また言語学者としての顔も見せる某氏だ。彼は、古文書の記載から秦氏の祖先が古代キリスト教を信仰していたユダヤ系の民族であるとし、その名残が今でも太秦の地に眠っているとしたのである。
その重大な根拠の一つが「いさら井」と呼ばれる井戸の名前だ。秦氏が建立した広隆寺の西側、現在では観光客用の駐車場になっている場所から脇にのびる細道を進むと、住宅地の中にこの「いさら井」と呼ばれる井戸がある。現代においてはもう既に使われなくなっているが、その佇まいからか、隠れた史蹟として残されているようである。
同氏によると、「いさら井」とは「イスラエル」が口頭から口頭へと伝わっていく長い年月を経て、徐々に訛っていったものだという。なるほど一見すると言語学者らしい、確かにと思わせるような説ではあるのだが、有識者が言うには、驚くべきことに「いさら」という言葉がちゃんと存在しているのである。この事実を初めて耳にした日猶同祖論者は、脇腹に向かって強烈なボディーブローを喰らったほどの衝撃を受けであろうことは想像に難くない。
また「いさら」とは「少ない」という意味の古語であるため、「いさら井」とはその単語の示す通りに「水の量が少ない井戸」という意味なのである。ここでさらに日猶同祖論者に容赦のない左アッパーが炸裂することには、この事実は 『広辞苑』にも記載されているのである。
夢と浪漫をとるか、現実路線をとるかは読者の判断に委ねるとしよう。
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