復活と休止を繰り返した廃駅、壬生(みぶ)駅

四条大宮~西院の駅間、嵐電にしては長いと思いませんか? ?

かつてはこの駅間に壬生(みぶ)という駅がありました。

嵐山本線と壬生川通が交差している地点(四条大宮2号踏切付近)にあったのです!

それがこちらです↓

年表
1914年  大正3年:壬生駅を開業
1918年  大正7年:壬生駅を廃止
1925年 大正14年:壬生駅が復活、のちに休業
1929年 昭和4年6月26日:壬生駅が復活、のちに休業
1952年 昭和27年:壬生駅が復活、のちに休業
1954年 昭和29年:一時停車駅として壬生駅復活
1971年 昭和46年7月11日:壬生駅廃止
(京福電気鉄道株式会社)
写真は京福電気鉄道様ご提供

復活と休止を繰り返し、1971年(昭和46年)7月11日は壬生駅は遂に廃止されてしまいました…

なぜか?

京福電気鉄道の交通事業は昭和30年代後半から困難な局面に立たされていました(京福の名の通り、かつては福井でも鉄道事業を運営していました)。

・モータリゼーション*の激化と過疎化現象が進んで、乗客が減少したこと
・賃金と物価が上昇して諸経費が高騰したこと
・政府の物価抑制策によって低運賃に抑えられていたこと
などがあったようです。

*モータリゼーション 自動車が普及し、生活必需品化すること。 自家用車の普及とも

1964年度(昭和39年度)には、無配転落を余儀なくされ、会社存亡の危機に直面しました。

そこで経営再建に向けて、1967年(昭和42年)から臨時再建推進本部による鉄道部門の合理化を実施され、その一環として、壬生駅は廃止されたようです(京福電気鉄道社史編さん事務局,1993)。

つまり…
運行費用が高くなったのに、乗る人が少なくなった+運賃の値上げはできない!
という状況だったのです!
そこで合理化の促進のため、駅間が短い壬生駅が廃止となったのですね!
(走って止まってを繰り返すとそれだけコストがかかりますし、駅の維持費もかかりますしね…)

2021年度制作班2021年9月撮影

こちらが2021年の壬生駅跡。

プラットホーム等の痕跡は見当たりませんが、架線柱や踏切の灯器は変わっていないようにも見えますね~
(ちなみに右側の空き地はスーパーのライフができるようです!!)

当ページの昔の写真を片手に現地を訪れ、見比べてみてはどうでしょうか!?

最寄り駅
嵐電四条大宮阪急大宮駅
最寄り停留所
・市バス・京都バス・西日本JRバス・京阪バス四条大宮
・市バス・京都バス壬生寺道

(つまり四条大宮~壬生駅間の距離はかなり短く、現在の市バス・京都バスの四条大宮~壬生寺道よりも短かった訳です…
そんな短距離じゃ、まぁ…。)

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四条大宮駅

嵐電嵐山本線挟んで四条通の一本南の綾小路通、いい感じの幅に、
微妙なカーブと勾配、道沿いの建物もなんか良さげでしたよ~(個人的感想含む)。

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参考文献
京福電気鉄道社史編さん事務局,1993,『京福電気鉄道50年の歩み』株式会社ダイヤモンド・グラフィック社.
京福電気鉄道株式会社,「嵐電の歴史」https://randen.keifuku.co.jp/archive/history.php (最終閲覧日2021年8月24日).

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